木村修(きむらおさむ)さんという人物をご存じでしょうか。
元東大全共闘のメンバーで楯の会リーダー三島由紀夫さんと討論会を開いた人物です。
そんな偉業を成し遂げた木村修さんの経歴が気になりました。
また現在の職業や近代ゴリラについても知りたいところですよね。
こちらの記事では、木村修さんについてご紹介させていただきます。
木村修の経歴やプロフィール
名前:木村修
よみ:きむらおさむ
生年月日(誕生日);1947年
年齢:72歳-73歳
幼少期から東大入学までの情報は明かされていません。
しかし当時の東大に入学できたという時点で、知名度の高い学校や難関校を卒業していると思われます。
在学中の1969年4月に当時22歳で東大全共闘の一人で東大全学共闘会議駒場共闘焚祭(ふんさい)委員会の主催者だった木村修さんは、
日本人の内輪でしか議論しないという、社会通念を壊したいと思い、
「日本社会がどうあるべきか」、「僕たちと話し合ってみませんか?」
と敵である三島由紀夫さんを討論会へ誘ったそうです。
討論会当日に、学生服姿で司会として登壇。
三島由紀夫VS東大全共闘による「暴力と闘争」についての議題の映像です。
映像の中で全共闘Aと紹介されている木村修さんがタバコのモクモクとして煙でむせているのが印象的ですね。
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当時、学生服は保守主義、反動主義といわれる右翼陣営が着る服装と認識されていたそうです。
そのため反動的と指摘され会の途中で学生服を脱いだというエピソードがあります。
また激しい討論会の内容であったため思考が疲弊していたのか、または三島由紀夫さんが小説家だったがゆえに「三島由紀夫先生」と呼んでしまう場面もありました。
この討論会はお互い敵同士でありながら、腹を割って話した時の妙な空間が形成されたような印象を受けました。
討論会後、東大農学部農業工学科を卒業。
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木村修の現在の職業
木村修さんは東大農学部農業工学科卒業後、地方公務員となったと紹介されています。
当時の日本を革新したいと思っていた全共闘所属でありながら公務員となった理由は明らかになっていません。
ですが単身、国の下に付き自ら何かを変えていこうと思い立ったのではないかと推測されます。
地方公務員になってどのような活動をしていたかは明らかになっていません。
定年退職をしたと説明されていますので、おそらく地方公務員を満期で務めたと思われます。
定年退職後は、かつて敵対していた三島由紀夫さんの文学、思想を研究し続けていたようです。
その結果、世に出回っている三島由紀夫さんをテーマに研究した書籍はなってないと思うほど突き詰めていったとされています。
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木村修の近代ゴリラ
木村修さんが三島由紀夫さんに電話して起こした討論会。
そこへ三島由紀夫さんが到着すると入り口にとある広告がありました。
それは大きな文字で「近代ゴリラ」と書かれた広告でした。
映像では13秒辺り。
日本の国旗の下に三島由紀夫さんの肖像画が描いてあります。
肖像画は上半身が裸の状態で背中には刀を携え、両の手でダンベルを持っている姿。
また肖像画の下には「東大動物園特別陳列品 近代ゴリラ(学名」と詳細(三島ゴリラの飼育料が100円以上など)が書かれている。
それを見て三島由紀夫さんはそれを見て起こるどころか思わず笑ってしまったといいます。
また三島由紀夫さんの後ろには東大生が10~20人と取り囲んでおり、三島由紀夫さんを揶揄した「近代ゴリラ」を見て笑う姿、それを見て笑っていたそうです。
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さいごに
木村修さんについてご紹介させていただきました。
この方が居なければ三島由紀夫さんと東大全共闘との討論会は実現しなかったと考えられます。
そのため文字通り破天荒を地で行った人物であると思います。