中島葵(女優)の経歴や役は何?現在や子供と旦那はいる?

中島葵(なかじまあおい)さんという人物をご存じでしょうか。

女優として活躍する方で、テレビ、映画、演劇など多くの作品に関わっています。

そんな中島葵さんの経歴やどんな役を演じたのか気になりますよね。

また現在は何をしているのか、息子と娘など子供や夫はいるのかも知りたいですよね。

こちらの記事では、中島葵さんについてご紹介させていただきます。

スポンサーリンク

中島葵の経歴やプロフィール

名前:中島葵
よみ:なかじまあおい
生年月日(誕生日):1945年9月20日
年齢:後述
出身地:熊本県熊本市
職業:女優

中島葵さんは1969年から女優として活動している女性です。

熊本県熊本市二本木町の出身。

俳優の父・森雅之さん、元宝塚歌劇団娘役で後に女優・梅香ふみ子さんの間に生まれました。

つまり生まれた時から演劇関係の恩恵を得ていたということになります。

両親だけではなく官僚・実業家、陸軍大将・男爵、小説家、画家などが親類に居ます。

さまざまなエリート、アーティストなどの環境の中で育ち、才能を開花させていったと考えられます。

ただ出生が少々複雑で父がもともと既婚者で、父と母は不倫関係にあります。

中島葵さんが生まれる前後に関係が終わったため、16歳になるまで父から認知されていませんでした。

そのため母の実家である東雲桜中島家で生まれたあと母一人で育てられたことになり、恵まれた環境だったかというとそうではないかもしれないですね。

1955年に兵庫県西宮市立高木小学校に転校し、翌年にはABC朝日放送児童劇団に入団し、教育番組のレギュラーとして出演。

母が文学座の女優だったこともあり口利きをしてもらったのか、七光りの実力で仕事を得たのかもしれません。

1958年に芦屋女子学園中等部に入学、その後に芦屋女子中学校・高等学校を卒業しています。

高1の時に父からの認知を受け、3年後に日本大学藝術学部演劇科に特待生として入学し文学座附属演劇研究所に入所。

やはり両親の影響で演劇の道に進むことは決まっていたと感じます。

しかし1965年に大学を中退、ただ翌年に文学座研究生となり5年後には文学座座員に認められ、「黄金の頭」で初の主役にも抜擢されています。

さまざまな舞台に立ったあと1973年に文学座を退座し、アングラ演劇、前衛演劇の世界へ身を投じます。

そこからは数多くの演劇、映画、ドラマなどに出演。

また吹き替えをしたり、著書も出版しています。

[ads1]

スポンサーリンク

中島葵の子供と旦那

中島葵さんは劇団、映画、ドラマ、などさまざまな女優として活躍してきました。

ところでプライベートの方はどうなのでしょうか。

気になるのは結婚しているのかということです。

実は、1966年文学座研究生から1971年文学座座員の間に結婚されています。

1970年にドキュメンタリー映画監督・布川徹郎さんと結婚。

布川徹郎さんは 「沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー」、「天使の恍惚」、「bastard on the border 幻の混民族共和国」、「太平洋戦争草稿」などで監督をしてました。

しかし2年後の1972年に離婚しており、布川徹郎さんとの間に子供がいたのかは明かされていません。

翌年に文学座を退座していることを考えると中島葵さんにとってターニングポイントになっているのかなと思います。

また間を置かずに女優業をしているため子供はいなかったと推測されます。

アングラ演劇、前衛演劇の世界へ活躍の場を広げてからはさらに忙しかったことでしょう。

さまざまな作品に出演し、1978年に芥正彦さんと「ホモフィクタスACT&AOI劇団」を結成しています。

また旗揚げ公演で芥正彦さんの作品演出「悲劇天皇祐仁」などを上演しています。

芥正彦さんは東大全共闘のオーガナイザーで三島由紀夫さんと討論会を起こした有名人でもあります。

芥正彦の子供の現在や嫁は誰?抱っこしてた赤ちゃんは息子か娘?

そんな芥正彦さんと中島葵さんは内縁関係だったそうです。

中島葵さんは1歳年上なので、弟のような可愛さがあったのかもしれません。

ただこちらも子供がいたかどうかは明らかになっていません。

[ads2]

スポンサーリンク

中島葵の現在

中島葵さんは明らかになっているだけで二人の男性と交際していました。

おそらく明らかになっていない恋愛遍歴を加えるともっと多いかもしれません。

それほど魅力的な女優さんだったということがうかがえます。

また仕事も順調で女優として芸能活動を第一線で活躍していました。

しかし1988年42歳の時に子宮頸がんが発覚してしまいます。

芥正彦さんの支えがありながら闘病生活が続きました。

ところが1991年5月16日に45歳という若さでご逝去されてしまいました。

母・梅香ふみ子さんはまだご存命だったので、愛娘を失い悲しみに暮れていたかもしれません。

ちなみに母親の梅香ふみ子さんは2013年に102歳という長寿で逝去されています。

中島葵さん逝去の翌年である1992年、内縁関係だった芥正彦さん編集による中島葵さんの追悼集『女優 中島葵 もう一人の「或る女」がここに生まれる』が出版されています。

その著書の中には中島葵さんの女優としての活躍、芥正彦さんの献身的な介護の様子、中島葵さんの死に際などの画像がおさめられています。

[ads3]

スポンサーリンク

さいごに

激動の時代を生きた女優・中島葵さん。

舞台もプライベートも人生すべてが女優のような波乱万丈だったに違いありません。

人生の酸いも甘いも45年という凝縮された時間の中で、精一杯生きてこられたと思います。

本当に素敵な人物だなと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました