藤森黎子(ふじもりれいこ)さんという人物をご存じでしょうか。
1965年から東京大学に在籍していた女子学生です。
当時の東京大学がどのくらいのレベルかは計り知れないところがありますが、天下の東京大学なので頭も相当キレたに違いありません。
そこで気になるのは藤森黎子さんの経歴や職業と現在は何をされているのかです。
またどんな人物と結婚したのか、子供はいらっしゃるのかも知りたいところです。
こちらの記事では、藤森黎子さんについてご紹介させていただきます。
藤森黎子の経歴や職業
藤森黎子さんは1946年生まれの女性です。
年齢は2020年3月現在で換算すると73、74歳となります。
生い立ちは一切明かされておらずどのように育ったのか不明です。
後に東京大学に進学するため、幼小中高と知名度の高い難関校に通っていたのではないかと考えられます。
そうなればおのずと都会育ちだった可能性もありますね。
1965年5月になり東京大学へ入学。
東京大学の文学部に在籍していますた。
そこでは今道友信教授のゼミで美学を学んでいます。
今道友信教授は美学者・中世哲学研究者で「エコエティカ」(生命倫理による人間学・倫理学)を提唱した人物。
東京大学名誉教授をはじめさまざまな会長・所長・顧問などの肩書があります。
そんな素晴らしい教授の師事の元、美学についてかなり専門的な勉強をされていたと思われます。
また在学中に後に結婚をする同大学男子学生と劇団駒場を主宰。
おそらくこちらに映る女性が当時の藤森黎子さんではないかと考えられます。
映像を見る限りさまざまな人に指示を出したり自ら演技をしたりカリスマ的なものを感じました。
美学を学ぶだけのことはありますね。
大学卒業後は、神奈川県横浜市で英語塾を経営しています。
どのくらいの期間経営をしていたのかは不明ですが、英会話はネイティブレベルだったと言えます。
その一方で、ビジネス翻訳、通訳など携わっています。
例えばアル・グラスビーさんによる著書「寛容のレシピ オーストラリア風多文化主義を召し上がれ」を訳しています。
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藤森黎子の結婚した旦那や子供
藤森黎子さんは先ほども述べた通り、東京大学の男子学生と結婚しています。
その人物は東大全学共闘会議(全共闘)のオーガナイザーと言われている芥正彦(あくたまさひこ)さんです。
⇒ 芥正彦の子供の現在や嫁は誰?抱っこしてた赤ちゃんは息子か娘?
結婚の事は、小中陽太郎さんの著書「昭和元禄・行動的にっぽん人: 常識を変えた現代の英雄」にも記されています。
ですが芥正彦さんとのエピソードはあまり公開されていません。
あるとすれば芥正彦さん率いる全共闘が割腹自殺をした三島由紀夫さんと討論会を開いた時のこと。
芥正彦さんは自分の娘を肩車し片手にタバコという状態で三島由紀夫さんと対峙していました。
どうやら藤森黎子さんがその日仕事に出ていたらしく、子守を任された芥正彦さんはそのまま登壇したようです。
おそらく討論会はかなり注目を集めていたので、藤森黎子さんも知っていたと思います。
止む終えない状況だったのかなと考えられます。
ちなみに芥正彦さんの本名は斎藤正彦さんというため、当時は斎藤黎子さんというお名前だったと考えられます。
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藤森黎子の現在
有名人の芥正彦さんと結婚し長女を授かった藤森黎子さん。
現在はどのような感じなのでしょうか。
大学卒業後、英語塾経営や翻訳、通訳の仕事を続けていたという情報があります。
しかしそれ以外のことは全く明かされていません。
わかっているのは1998年よりオーストラリアのシドニーに在住しているということのみです。
つまりどのくらいの期間働いていたのか。
なぜオーストラリアのシドニーに在住しているのかも明かされていません。
また今も藤森黎子さんというお名前なのは、どうやら芥正彦さんと離婚していたためと考えられます。
何故かというと芥正彦さんは1978年に女優の中島葵さんと「ホモフィクタスACT&AOI劇団」を結成し、内縁の妻にもなっているからです。
日本は一夫多妻制ではないので1978年以前に離婚していたと考えられます。
そして在住していると言ってもご存命かどうかも今となっては明らかになっていません。
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さいごに
藤森黎子さんについてご紹介させていただきました。
簡単にまとめると以下の通りです。
・1965年に東京大学へ入学。
・芥正彦さんと共に劇団駒場を主宰。
・芥正彦さんと結婚し長女を授かる。
・翻訳や通訳の仕事をしていた。
・オーストラリアシドニーに在住している。
・存命かは明らかになっていない。
ご存命であれば73か74歳とお歳を召していらっしゃると思います。
おそらく現在も昔と同じようにモダンガールとして、紳士に明るい笑顔を照らしているのではないでしょうか。
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